HONEY's diary

女、30代後半、独身、神様級大親友(ハニーたち)2人、サヨナラの数..すぐ出てこない。 オンナがひとりで40年近く生きてて、ツライ事がないわけない。それでも「あの人は悩みなんてなさそうね」と言われるように生きてたい。そんな理想と控えめに言ってもウケますよね、な現実のdiary.

STAY WITH ME

例の修羅場ナイトから1週間少し
アノ日からワタシは「外の世界」と距離を置いている。

Instagram
→ 全postをアーカイブにして写真掲載なし
→修羅場関連の人たちブロック&フォロー外し
→携帯からアプリ削除
→アカウントだけ生きてる

❒FACE BOOK (元々1年以上使ってなかったけど)
→修羅場関連の人たちと友達解除
→形態からアプリ削除
→アカウントだけ生きてる

TWITTER
→元々使ってたアカウントからログアウト
→アカウントは生きてる

❒自宅TV
→単純につけて無い一切観てない



これらをやってみて、変化があったことが沢山ある。
例えば

・人のお買い物状況を見る代わりに
クローゼットを開けて「本当にワタシに必要なもの」が何か考えた
→沢山処分した

・携帯を触らなくなった
→電車の乗り降りと、コーヒー買う時くらいにしか使わない

・ワタシ何考えてるんだろう、って思い巡らす時間が増えた
→結果、このblog開設

・blogを書き出した
→自分の想いを言葉に変えて排出することで自分自身の浄化作用あり


「外の世界」との交信を断ってみたら
自分でもびっくりするくらいシンプルになった。
シンプル?そう、単純に「自分のこと」を考える・みる時間が激的に増えたのだ。
そうすると、自分の声が聞こえてきた。
というか、
自分の声を聴いてあげられるようになっているのかもしれない。

声が聞こえてくるというよりかは、聴きにいっている感覚。
一緒に横に居て、時に向かい合って
対象となる「ワタシ自身」に無条件に関心をもって
何を言っても否定もしない。ただ「そう思ったんだね」って聴く。
この感覚は久しぶり。
過去にも1度だけあったんだよなー。
あの時のワタシは、人生で初めて「絶望」を知った頃だった。
そして、絶望の後には光が準備されていることを 人生で初めて知った頃だ。
神さまは乗り越えられる壁しかつくらない。
その言葉の意味を ほんとうの意味で理解するのは
いつだって乗り越えたあと。

今はどう?
乗り越えている真っ最中なのだと思う。
でも、乗り越えられると確信している。
こうやってワタシは40年ちかく生きてきたんだから。
だから今日もワタシが何を言い出しても聴いてあげたい。


結局のところ
ワタシと一緒に居てあげられるのは

この世でワタシ以外に誰もない